第4回 貧乏なんかに負けないぞ

第4回 貧乏なんかに負けないぞ

5月 27, 17
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成人式以後は、ほとんど競馬とは縁のない生活が続きます。大黒柱だった父が借金を残して亡くなり、母も体調を崩して寝たり起きたりの暮らし。ふたりの弟もまだ独立できる歳ではなく、わが家で働き手は私しかいません。求人広告や知人を頼って、仕事の内容にかかわりなく、少しでも給料のよい仕事を探して、昼の勤務でも、夜勤でもできるものはなんでもさせてもらって、それこそわきめもふらず働きました。いま思っても本当によくやったなと自分で褒めてやりたくなります。

そのころ私はJR田町駅から歩いて15分程のところにある印刷会社に勤めていました。ここは私の母がお世話になった方のご主人が経営する会社で、私は営業一課に配属されていたのですが、営業二課の課長さんが無類の競馬好き。課長さんは金曜日の午後と土曜日の午前中はほとんど会社になくて、喫茶店で打合せと称し、熱心に競馬の研究をしていたのです。でもご本人の名誉のために申し添えておきますと、その他の日はもちろん夜遅くまで、人一倍働いていました。奥さんに作ってもらったという黒地に茶色とグレーの馬の親子の模様のクッションをいつも大事に抱えていたことや、ネクタイはいつも馬の模様だったことなどをよく覚えています。また月曜日の朝には部下たちが「課長、昨日は取れましたか?」なんてひやかして聞くと決まって渋い顔。でも時々、「君もお昼に何か好きなものをとって食べていいよ」と満面の笑顔で言ってくれます。毎週月曜日はこの笑顔が見たいと心密かに思ったのは私だけではないようでした。

そのK課長ももう定年近い歳になって、平成7年私がお世話になった印刷会社の社長さんの葬儀の席でお会いし、以前と変わらない笑顔で、「文化放送で競馬の予想をやっているのは、君だよね? よく当たるね。参考にさせてもらっているよ。持つべきものはよき部下だ……」。なんて話をしてくれました。「君はいつ競馬の勉強をしたんだい。だってぼくは、シンザンやタケシバオーやハイセイコーの時代から競馬をやっているんだよ。あのころはちっとも興味を示さなかったのに、嬉しいな……」って照れ笑いをしていたのが印象的でした。

そのシンザン、平成8年7月13日未明、35年と3カ月11日目にして死んでしまいましたね。戦後の競馬ブールの立役者で初の5冠馬。競馬を知らない人でもその名前だけは、知っている人も多いはず。テレビのニュースでも取り上げられた大きな出来事でした。Kさんをはじめ古くからの競馬ファンや、私のような競馬歴5、6年の若いファン層もこぞって涙した名馬シンザンの死。私も心に期するものがありました。

私はこの会社で一生懸命働きましたが、借金がようやくなくなったころ、よくしたもので母の健康もやや持ち直し、弟たちもそれぞれ就職してやっとわが家に安定した日々が戻ってきました。しかし、ホッとする一方で、私はなにか空虚な、心に隙間風が吹くような感覚に襲われるようになりました。家族のためにがんばって働くことで、自分に自信が持てるようになったけれど、このままでいいのだろうかという気持ちが頭から離れなくなったのです。仕事を通して知り合った先輩や友人たちともずいぶん話し合い、同じ働くとしても今度は本当に自分がしてみたいことにチャレンジすることが、この空虚さを埋める唯一の方法ではないかという結論に達しちゃったのです。

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