第2回 父に連れられた川崎競馬場

第2回 父に連れられた川崎競馬場

5月 27, 17
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私が生まれ育ったのは神奈川県川崎市。今でこそ人口119万人、全国で第9番目の大都市だけれど、私が子どものころは一部の工場地帯をのぞいては、田んぼと畑の多いところでした。そのころ川崎市に住んでいた人たちの自慢は、全国でも最も市民税の安いこと。なぜならここは早くから競馬場と競輪場があって、その収益が市の財源に大きく貢献していたからだそうです。

そんな伝統のある街だから競輪・競馬の開催日ともなると、川崎駅周辺には申し合わせたように、新聞片手に赤鉛筆を耳にはさんだ、ちょっと怖そうなおじさんたちがぞろぞろと電車から降りてきて(おじさん、ごめんなさい)競馬場や競輪場行きのバスに吸い込まれていくのを見て育ちました。

父も競馬の大ファン。3人の子どもの中で長女だった私をよく競馬場に連れて行ってくれました。私も子どもごころになぜかその日が待ち遠しく思えました。しかし後年母から聞いたところによると、どうやら父は私を遊びに連れて行くという口実で、競馬場に行っていたようです。

初めて競馬場へ連れて行かれたときは、とにかく「怖かった」とい印象が強く残っています。周りにいる大勢のおじさんたちは大声でどなりあったり、ぴょんぴょん跳びはねたり、私の頭の上で紙切れ(外れ馬券)をふりまわしたり、まき散らしたり。背たけの小さな私にはレースはひとつも見えず、こんなところへは二度と来たくないと思ったものです。

しかしその後も父はいつも私を連れて競馬場に行きました。どうやら私を連れて行くと、ゲンがいいというのがその理由。そのころには私もすっかり競馬場の雰囲気に馴らされてしまいました。それがこんにち私が競馬の仕事をするようになった原点なのかもしれませんね。

競馬の帰りには父はきまってお酒を飲み、私にはお菓子と牛乳を買ってくれました。父はその日の馬の走りや勝ち馬、負け馬について私に楽しそうに話し、私も一生懸命走っているお馬さんの姿にはなんとも言えず感動を覚え、競馬場へ行った日はなかなか寝つかれなかったりしました。大当たりの日には、父は母や弟たちにも果物やケーキをたくさん買ってくれてみんなで大喜びしたものです。

その父も十数年前に亡くなり、いまは平和島のお墓に眠っています。その墓地からすぐ近くに競艇場があり、開催日にはエンジン音が響いてきて、お墓参りの帰りにはつい競艇場や大井競馬場に足を延ばしてしまうのですが、なぜかその日はよく当たるのですよね。もしかしてお墓の下で父が当たるようにと暗示をかけてくれているのかも……。

父との思い出の川崎競馬場も今ではすっかり整備され、立派になってしまい、平成7年からは夏になるとナイター競馬が行われ、スーパーキングナイターと名付けられたレースがあります。そうそう、平成7年の最初のレースは、地方と中央の交流レースのエンプレス杯が行われ、中央から出走したホクトベガがどしゃぶりの雨の中、他馬をよせつけず18馬身差で圧勝して場内を沸かせました。その記憶もまだ消えないうちに、またまた平成8年の7月15日に行われた同じレースでも、このホクトベガが逃げきって8馬身差で勝ち、これで賞金総額が、ナリタブライアン、メジロマックイーン、ビワハヤヒデ、オグリキャップに続いて5番目の8億2812万6千円となりました。今、父がこのレースを見たらどんな気がするでしょうか。

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