第12回 いよいよ放送が始まった

第12回 いよいよ放送が始まった

5月 27, 17
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本番前日、キャスト、スタッフの顔合わせがありました。そこで初めてラジオの台本をいただいたのです。表紙のキャストのところに私の名前もありました。

「ラッキーエンジェル森朝子」(うまいこと言うな、放送作家は)

誰が名付けたのかうまいニックネームだと感心。さて台本を開くと驚きました。

愛川「この番組の目玉のひとつ、競馬は朝ちゃん、朝ちゃんにおまかせのコーナーです。朝ちゃん、おはよう」

森「(うける)」

愛川「(うける)」

森「(うけて)」

愛川「(うけて)」

森「(うけて)」

愛川「(ここでしめる)」(約何分)「では朝ちゃん、いってらっしゃい。がんばって」

うけて、というのはギャグを言うことではありません。相手の話を引き継ぎ、合わせることなんです。私は今までこんなふうにしか書かれていない台本は初めてだったので、本当に驚きました。テレビドラマや舞台の台本は、台詞がたったひとことであっても書いてあるんです。ラジオの台本は構成台本といってほとんどの場合、簡単にしか書いてなくて、出演者が自分で考えてしゃべるのだそうです。生放送で、しかもその場でレポートや実況をしなければならない私たちは書かれるはずはないのです。だから8時間も生放送をやる愛川さんは本当にたいへんなことなんだなあとあらためて感心。感心ばかりしている朝ちゃんです。

さて愛川さんの例によって楽しき訓示のあと、ひとりずつ紹介されます。

アシスタントの一条圭さん(二代目のアシスタントは藤森涼子さんでしたが)、外回りの寺島尚正アナ、太田英明アナ、ニュースを読む野中直子さん、交通情報の沢田夕佳さん、それからプロデューサーや、ディレクター、ミキサーさん、構成作家の坂内宏先生、山口克久先生などです。

眼鏡をかけ、色白で中肉中背の、ちょっぴり神経質そうだけど、とても物静かな話し方をする坂内先生、よく番組の中で、愛川さんが「バンナイ、バンナイ」と呼んでいた方ですが、私はこの方のひとことで大きく目覚めました。

ラジオの台本はこと細かに書いてあるシナリオはないというものの、コーナーによっては台本を見てしゃべっている人もいるのに気がついた私は、自分で取材したものを書いておいてスタジオに持ち込み、ノートを見ながら愛川さんと話しました。ところがノートばかりに気をとられて、愛川さんに話しかけられても、ちぐはぐな返事。それを目の前で聞いていた坂内先生がとても言いにくそうに、でもやさしく注意してくれました。

「朝ちゃん、台本を自分で作ってきたのはいいと思うけれど、その紙ばかり見ていてはさっきみたいに話がちぐはぐになってしまうよ。紙に書くのはポイントだけにしておいて、来週はとちってもいいから、メモ書き程度の紙を見てやったほうがいいよ」

私は真っ赤になって泣きそうになりながらも言い返してしまいました。

「だって他の人は全部見てしゃべっているのに、どうして私はいけないの」

「彼らはラジオの大ベテランだよ。きみはちがうだろう。とちってもいいよ、がんばれよ」

私の目からは大粒の涙が落ちました。そうだ、誰だって最初はあるんだ。うまくできなくてあたりまえだと思ってがんばろう、とウルウル眼で誓ったのでした。このアドバイスを受けて以来、私はポイントだけを紙に書き、ノートを見なくても話せるようになりました。のちにテレビの生放送に出演してからも、それが平気でできるようになりました。坂内先生には本当に感謝しています(しおらしく)。

それから愛川さんにはこんなアドバイスをいただきました。

「たとえば中継に出たとき、テレビは映像だから目で見えるから、もしもなにかで言葉が詰まって黙ってしまっても、現場の様子はわかる。だけどラジオは音だけで判断するしかないから、きみが黙ってしまったらスタジオではなにもわからない。だからわけがわからなくなっても、絶対に黙ってしまわないように。ラジオは3秒間無音になったら放送事故として局全体の問題になってしまい、責任者が始末書を出さなければならないんだよ」

そのことがいつも頭にあってか中継しているとき、愛川さんは私が0.01秒でも息をのんでしまうと、すかさずしゃべりまくられてしまいます。私はそれにまけじと早口がますます早口でしゃべってしまい、早いとよく怒られました。

まあそんなわけで、いろんなことがありましたが、いよいよ第一回目の放送という前の晩、私は緊張のあまり眠れませんでした。

さて平成6年4月10日は本番の日です。この日は午前10時から午後1時45分までと通常の半分しか放送はありませんでした。第54回桜花賞があり、この日をかわきりに春のG1レースが始まったのですが、私の出番の競馬中継は残念ながらありませんでした。結果はオグリローマンが1着、ツインクルブライトが2着で枠連で1-4、2230円。馬連は万馬券1万8140円でしたが、予想だけでもしていれば、私はツインクルブライトと同枠のメローフルーツを買っていたので代用的中ですが、枠連の予想は当たっていました。

私はこの第1回目の放送のとき何をやっていたかというと、ラジオカーに乗ってQR(文化放送)の寺島尚正アナウンサー(通称てらちゃん)と一緒に、花見客でごったがえす上野公園のお花見中継へと飛び出して行ったのです。てらちゃんと一緒に外に出たのはこれが最初で最後でしたが。

てらちゃんの印象は、頭髪を真ん中から五分五分に分けて、丸い金縁眼鏡。とてもアナウンサーに見えない、いつも笑顔をたやさない面白い人でした。今はすっかり中堅クラスになっているけれど、新入社員のころは、競馬の実況中継をやろうと一生懸命馬の名前を読む練習をしたけれど、馬の名前は覚えられないは、すらすら言うことはできないはで競馬のほうはすっかりやめてしまったということです。

さて上野公園に着いたのは午前10時少し前、見渡すかぎり人の山で、宴会もたけなわ。この日の天気は晴の良馬場状態。カラオケに熱中する人や踊り出す人で、桜も満開。

私は圧倒されっぱなしでしたけれど、とになくてらちゃんの胸を借りての第一声は、スタジオの愛川さんの「朝ちゃんはそばにいるの?」の呼びかけに「はい、キンヤさん、いやすごい人ですよ。あんな楽しそうにカラオケを歌っているので、私は思わずそっちのグループのほうへ行ってしまいましたよ」と精一杯の答えをしました。これが私のラジオ第一声。緊張して眠れなかったのが嘘のようです。案ずるより産むが易し。そしてその後は「CDにドン」というゲームをやりに上野の松坂屋の屋上と向島のおだんご屋さんの店先に行きました。松坂屋の屋上では、てらちゃんがリスナーの皆さんに呼びかけたのです。

「来週から競馬の予想をやる、朝ちゃんこと森朝子さんです。いやあ、本当にきれいな人ですね。こんなきれいな人が競馬の予想をするんだから、世の中変わったねえ。それでどのくらい当たるの?」(とフッてきた)。

今の私ならてらちゃんにきれいだと言われても、「何言ってんのよ。てらちゃんの眼鏡は皆きれいに見える眼鏡でしょ」なんて笑い飛ばせるところなんですが、そのときは上がってしまって「はあ、そうですか。ありがとうございます」なんて、まじめな顔をして美人気取り。「君は美人じゃないんだから気取るな」という大師匠の言葉は、そのときすっかり忘れていたんです。そんな緊張の中で、その日は三度の入中(向島のおだんご屋さん前からの生中継)を終えてほっとひと息。

ほんとうはラジオを聞いてくださっている方たちのために、競馬中継はないけれど、桜花賞の予想を入れておくべきだったかな、と反省しながらQRのスタジオに戻りました。戻ったのは生放送が終了した1時間後。スタジオにはもう誰も残っていませんでした。外回りの仕事は大変なものだと実感。そして、来週、4月17日からはいよいよ競馬場へひとりで出かけることになるのです。

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