第11回 いよいよラジオへ

第11回 いよいよラジオへ

5月 27, 17
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平成6年のお正月もすぎて、11日は私の誕生日。別に誕生日だからといって誰かが祝ってくれるというわけでもなく、午前中に親友で舞台をやっている女優の桂子ちゃんから「お誕生日、おめでとう」という電話があったきり。10年来の親友で、こまめな彼女は、誕生日とか特別な日には必ず一番に電話をくれます。ああ、でもこれが男の人だったらもっと感激なんだけれどなあと、いつも思ってしまう私。おおざっぱな性格の私は、桂子ちゃんの誕生日が3日もすぎてから、「おめでとうございました」なんて、まがぬけた電話をしてしまいます。

テレビのお昼の生番組『とことん好奇心』で1年間ご一緒していた三笑亭夢之助さんがいつかこんなことをおっしゃっていました。

「ぼくは咄家だから、話をするときに注意していることがある。それは最初に『ま』がつく言葉なんだよ。『ま』がつく言葉をはずつとおかしなことになるよ。それこそまがはずれるっていうやつだよ。ほかにも、まが悪い、まが持たない、まがぬけるなんていうのもあるしね。ま(間)は人と話をするのにも、つき合うのにも大切なことなんだよ」

それ以来、私は夢之助さんのこの言葉を忘れないで、「ま」をはずさないように注意しています。今年の桂子ちゃんの誕生日には朝一番に電話しよう。女の人にとって、こういうささいなことって、とても大切なんですよ。

また話がそれてしまいました。その誕生日の午後、愛川さんから電話がありました。

「文化放送にきみの話をしておいたから、連絡がきたら写真とプロフィールを持って訪ねて行くようにね。あっ、それからきみの留守番電話の声、早口でとても暗い。ラジオは早口でも、暗くてもだめだよ。吹き込みなおしておくように……。それから電話に出るときは『は~い森で~す』と明るく出るようにしなさいね」と早速注意を受けました。

しかしそれから待つこと2カ月、何も連絡がないのです。いったいどうなってしまったのでしょう。あの誕生日の話はなくなったのか、競馬の仕事はやはり夢だったのか、と不安な日々を過ごしました。

そんなある日、電話が鳴りました。

「こちらは文化放送ですが、明日にでもお越し願えませんか」

「はい、明日ですね、何時におうかがいしたらいいんでしょう」と二つ返事で、飛んでいきました。ラジオの世界にはちっとも縁がなかったので、前にNHKやTBSのスタジオを見学に行ったり、ナレーションの仕事で何度か録音に訪れたことはあるけれど、実際に自分が出演するとなると気持ちがグイグイひきしまり、「がんばらなくちゃ」と気合いを入れました。

文化放送は、JR四谷駅から新宿通りを歩いて10分ぐらい、ドーナツ屋さんの角を左に曲がった先の所。昔は教会として使われていたところだそうで、外から見るとここがラジオ局なのか、と思うくらい、なんとなく歴史的な感じのする、少しこじんまりした建物なのです。ここから電波を送り出して、たくさんの家庭に声を届けているのかと思うと、すごいなあ~と思いました。そして、私の声がここから流れることを想像すると、ちょっぴり面映ゆくもありました。

今までテレビや舞台のプロデューサーには会ったことがありますが、ラジオのプロデューサーというのはどんな人たちなのだろうかと興味を持ちました。その時お会いしたのは4人。皆さんインテリ風なのでテレビの世界とはだいぶ違うなと感じました(テレビのプロデューサーさんごめんなさい)。

その面接でのやりとり。

「テレビや舞台をこれだけ長くやっていて、ラジオは初めてなんですね。失礼ですが、もうそんなに若いという年齢ではないでしょ。今さら一から勉強するなんて大変だからやめた方がいいと思うんですが……」とプロデューサー(ほっといて、歳のこと言わないで)。

「いいえ、私勉強好きですから」(と、神妙なカオをしています)。

「そうですか。それではあるエピソードをお話ししますね。某番組のベテランアナウンサーは、毎日午後決まった時間に公園にレポートをするという番組があってね。涼しいときはそれなりに人がいるからいいけれど、ある真夏の本当に暑い日、人っ子ひとりいなくて、困ってしまった。そのときどうしたと思う? ラジオは黙って立っているわけにいかないんだ。そのアナウンサーは木に登って、蝉の鳴き声をとったんだよ。ラジオはそれぐらい大変なんですよ。まあ覚悟してがんばってください」(やっぱりインテリだ、この人。妙に説得力あるものね)。

そんなわけでようやく話がまとまったのは、文化放送の日曜日放送の『サンデースーパーキンキン』が始まる1カ月前のことでした。そしてこの時プロデューサーに言われたのは、「スーパーキンキン」のスタッフは誰ひとり競馬を知る者はない、私自身も興味がないのでアドバイスはできない、1人でがんばってほしいということでした。興味がなければ興味を持ってもらえるようにがんばって、いい放送をするしかないと私は思いました。このプロデューサーの最後の言葉で、競馬のレースのことだけでなくて、人間と馬との比較や馬の生活などについてわかりやすく、自分なりにレポートして、それを話すように心がけていきたいと心に誓う朝ちゃんでした。
●誰にだって失敗はある
番組で愛川さんの相手役、つまりアシスタントのオーディションがあるというので、私は競馬コーナーの担当が既に決まっていましたが、ノコノコとそのスタジオを見学させてもらいました。

愛川さんは15人ほどのフリーのアナウンサーやタレントを相手に放送と同じように楽しい会話をしています。あの中から相手役が決まるのだと思うと私もうかうかしてはいられないと、オーディションが終わってから愛川さんにお願いしてスタジオでしゃべらせてもらいました。

「どうだい、少しはしゃべり方や何かの勉強をしたかい?」

「ええ、まあ」と不安な声で答える私。

「それじゃ、ぼくがスタジオにいて、きみが競馬場にいると設定して少し練習してみよう」

しかし、私は上がりに上がってしまって、しどろもどろ。しまいに黙ってしまうという情けないありさまです。

「それじゃ、ダメだ。きみはいままでなにをやっていたんだ。きみにはとうてい無理だ。明日までによく考えて、できないんだったら番組は降りるように。そのときは、ぼくも一緒に謝ってあげるから降りなさい」(芸には厳しいキンヤさんです。トホホ……)。

このとき、うまくできなかったくやしさと恥ずかしさ!

誰にだって最初はあるんだ。ダメだと言われて、はいそうですかとあきらめてしまったら、一生私はだめになってしまう、がんばれるだけがんばろうとこのとき自分に言い聞かせました。後日、放送が始まってしばらくしてから愛川さんに言われました。

「きみはできないくせに、なんでもできるという顔をしてやらせてくれという。ぼくはそのずうずうしさに負けたよ」(根性あるって言ってください、キンヤさん)。

私の最も信頼する知人の1人で、某テレビ局のプロデューサーにも言われました。

「愛川さんはきみの本当の意味での師匠だね。あんなにビッグな人が、そんなことを本気で指導してくれるなんてすごいもんだ」

私はそれ以来、愛川さんを勝手に師匠と仰ぎ、自分は不肖の弟子と思っています。そしてそのとき教えてもらったことがもうひとつあります。「放送するとき、誰に向かって話すのか」ということです。

「きみの場合はぼくにだよ。ぼくの場合はラジオを前にいる1人の人だよ」と愛川さんはおっしゃいました。恥ずかしいけれどそんなこともわからない未熟な私でした。

そういえば夢之助さんからはこんな話も聞きました。

「たとえば会場に100人のお客さんが入っているとすると、ぼくはぼくの話を真剣に聞いてくれていると思う人、1人に向かって話し出すんだ。だってそうでしょ。全部の人がぼくのお客さんとはかぎらないんだから、1人に向かって話していて、そのうちに1/3の人がぼくの話しに耳を傾けて、笑ってくれたり、頷いてくれれば大成功なんだよ。だからきみのように専門が競馬となると、ラジオの向こうで何人聞いてくれるのかというととても難しいものだ。だってこのぼくはきみのいうナリタブライアンとかなんとかアマゾンと、ビワなんとかって言ったって、まるきり興味がないから、なんだそれって思うだけだよ。だから競馬に興味を持たせるように話をするのは本当にたいへんなことだよ。1人の競馬好きの人に聞いてもらうだけだってすごいことだからねえ」

分野は違っても、先輩は先輩、ありがたいものです。私はその話を聞いてから、よりわかりやすい話をしようといつも思ってきました。

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