第7回 アルバイトでがんばる

第7回 アルバイトでがんばる

5月 27, 17
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新宿コマ劇場では4年前まで、通算8年間八代亜紀公演に出演しました。役は毎年いろいろだったけれど、特に私が気に入っていたのは女郎の役。ある年、夜鷹の役をやったときも毎年見に来てくださっているお客さんからは「待ってました女郎……」と大向こう(客席から舞台に向かって掛け声をかけることです)がかかって、演じている私はおもわずずっこけそうになったりしました。もっとも女郎と夜鷹の違いが演じている私自身よくわからないのですから、お客さんにはもっとわからないのは当然のことでは……。でも旅役者や町娘を演じても、どうしても私には「待ってました女郎……」という大向こうがかかって、楽屋に戻ると、仲間たちにいつも笑われてしまいます。ある年の千秋楽にはプロデューサーから、「女郎役をやらせたら天下一品の森君、来年もし女郎役がなかったら主演依頼はしないよ」と冗談とも本気ともとれないことを言われたりしましたが、翌年にはまたちゃんと呼んでもらえました。そのときは大奥のお中老役でしかも悪役でした。これもとてもやり甲斐あったんですよね。

そんな私を脅かした新宿コマ劇場のプロデューサーもこれまた競馬大好き人間です。土曜、日曜はラジオ片手に苛々したり、ニヤニヤしたり。私が文化放送で競馬の予想をやっていると知ってからはかかさず聞いてくれました。ときどきお会いすると、「やあー森君、今度の日曜日のなになにという馬はこないよ。くるのはこれこれだよ。絶対にそう思うから、そういう予想をしてほしいね」なんて熱心に語ってくれたものです。私はそれ以来そのプロデューサーと競馬の話をするのが楽しみで、今でもよくコマ劇場を訪ねたりしています。

いわゆる商業演劇と呼ばれる舞台は1年に50日くらいで、あと舞台といえば銀座のみゆき館とか市民ホールとか。それでも稽古の日にちを入れても4、5カ月。残りはテレビのドラマやモデルの仕事をしたり。でもアルバイトにせいを出しているほうがこのころは多かったのです。女優、タレントも大変なんです。

アルバイトは新宿歌舞伎町のコマ劇場の近くの小料理屋「はな」、ここで約10年くらい働きました。ママは元松竹のSKDのタップダンサーで、新潟県出身の色白の浅香光代さんに似た世話好きな方でした。マスターはママより10歳年下の、歌手の上條恒彦さんによく似た酒好きのいい方ですが、たまにきずは12時近くになるともうベロンベロンになってしまって、ママと夫婦喧嘩をすること。お客さんは面白がって、これを肴に飲んでいるんです。ここのお客さんは多種多彩で、建築関係、保険屋さん、警察官、自営業、それからママの知り合いの芸能界の人たち。私はここでお料理を運びながら競馬の話をよくしていました。マスターは私のことを「女賭博師」と呼んでいました。皆さん、この可愛い朝ちゃんが女賭博師に見えますか。ここでアルバイトをしていたお陰で、テレビや映画関係者と知り合い、出演の機会も増えましたが、このままではいけない、もし女優としてやっていけないなら、なにか別なことを考えなければと、お料理の好きな私は遠い将来のことも考えて、調理師の免許も取ったのでした。けっこう堅実なところあるんですよ、私。

でも苦しいこともたくさんあったけれど、いろいろな人たちと出会えて、いろいろなことを教えてもらいました。それが今でも演技の役になっているんです。そして私を中山競馬場へ初めて連れて行ってくれたのも、ここのお店の常連さん。また別の常連さんは競馬場でたびたび会い、その人は私が文化放送の仕事で来ていることを知らず、「朝ちゃんはアルバイトしなくなったと思っていたら、毎週競馬場に通っている。女のくせにとんでもないやつだ」とマスターに言ったとか。でも文化放送の仕事とわかったときには、いつも同じ場所で私を待っていてくれて、「今日の朝ちゃんのメインレースの予想はなんだい?」とニコニコ聞くんです。私、競馬場でこの人に会うのを楽しみにしていました。予想料高いよ。取ったら奢ってよね、山田さん!

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